私たちは、極端な「個人主義の教育」と集団主義の教育に対して、私たちの独自の主張を授業と特別活動の改善プログラムの研究開発と実践的検証とを通じてすすめてきた。ここにいう「個人主義の教育」にあっては、個人中心の世界観に立ち、個人や自発性を説く。しかし集団や社会の人間形成における意義を認識することができず、集団や社会を、せいぜい個人の成長の手段として利用しようとするに過ぎない。そのため学習指導の形態は一斉教授となり、学習者を受け身の位置におき、相互の協同関係を弱め、結局、教師の管理・統制に順応させる授業が展開される。これに対して「集団主義の教育」は、集団中心の教育観に立ち、集団や社会の人間形成の意味を重視し、例えば「子どもの集団の自治と共同」を強調する。しかし子ども一人ひとりの個性や自由や信頼関係を軽視する傾向があった。そのために、教育の実際は、一部の子どもの権限による管理・統制となり、班競争に象徴されるように集団間の対立緊張を助長し、個人の主体的責任と創造性を弱め、結局、多くの子どもたちの意欲と友好関係に大きなかげりをもたらす結果になる。このような、両極端の教育に認められる歪みに対して、私たちは、個の形成と集団の形成は相即不離の関係にあるという基本的理念に立ち、すでに10数年前に教育界に向け、次のような主張をした。それは、教育に関して、一方における、自由と創造と個性、他方における、平等と共同と連帯を大事にし、そのような教育の仕事を通じて、平和と民主主義を大切にする人格と社会の建設に力をつくすという考え方である。私たちの教育主張を現実化するための具体的な方法・視点として、次の10か条を提示した。
- 一人ひとりの子どもの人格の尊重と個性を重視する。
- 集団の一致団結というよりは、集団内と集団問の協力、ならびに個々の集団の個性を大事にする。
- 集団規律を尊重するとともに、その創造と更新を大事にする。
- 集団の中で、一部のエリートだけが活躍するのではなく、すべての子どもの可能性と指導牲(リーダー性)の伸長が図られる。
- 人間形成や集団形成における遊びの意義に注目し、学習における表現性、総合性、創造性を大切にする。
- 授業に子どもが全員参加するために、とりわけ小集団学習を重視する。
- 自らの自己表現、他との相互交渉、相互批判とともに、自らの内省と相手への思いやり・励ましを重視する。
- 教育は、権力による強制や宣伝ではなく、教師と学習者、学習者相互の信頼の人間関係によって成立するものである。
- それぞれの子どもと集団の心の中に、平和と人権尊重の基盤を築く。
- 教師は、教師の人格的成長をこそ大前提とする。
(全集研編『仲間づくりと授業』第一号 昭和58(1983)年4月)
以上のような考え方は、昭和58年に示された私たちの主張であるが、今日の我が国における深刻な教育問題、いじめ、不登校、新しい荒れや学級崩壊の問題、また、総合的な学習の時間の展開・教師の支援のあり方、さらに我が国の教育の最重要課題、個性重視の教育に対する理念的・具体的な方法・視点を先取りするものであった。